直木賞受賞記念鼎談

コロナ禍は
自己を見つめ直す時間

植木 本日はお忙しい中、ありがとうございます。お二人とも同志社大学の卒業生でおられる上、大学の授業や講座をご担当いただき、本当にお世話になっております。私個人としても両先生からは大変な学恩を受けております。本日は宜しくお願いします。

河村 宜しくお願いします。

植木 まず、コロナ禍での状況をお伺いします。伝統文化、伝統芸能の世界は密が避けられない上、不要不急のものとして後回しにされてきた経緯があります。この間の状況や、お二人がお感じになったことをお話しいただけますか。

 聞香は室町時代の寄り合い文化です。人と人が出会って初めて、自分自身のいのちのありようを見つめるような生活文化です。コロナ禍では、それができません。しかし整理すべきものを見つめたり、古い香木を改めて焚いてみたりと、自分ひとりで香りに向き合う静かな時間はいただいたと、ポジティブに考えるようにしております。

河村 能でも催しが本当にしにくくなりました。その中でオンラインの活用など、普及活動に向き合うことも大事だと考えています。新しい普及活動の手法を確立していけば、国内外へ向けて能を広く知っていただく機会になります。能は多くの困難な時代を乗り越え、700年近く続いてきました。危機の後には、危機をバネにして名人が出てきました。私も自分を見つめ直して、もう一度頑張らねばという意識でおります。

河村かわむら 晴久はるひささん

能楽師 観世流 シテ方。1956年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院文学研究科文化史学専攻博士前期課程修了。幼少より父河村晴夫の教えを受け3歳にて初舞台。京都河村能舞台を中心に活動。

「初心忘るべからず」と
「吾唯足知」の真の意味とは

植木 どんな状況でも前向きに捉えていくことが大切で、それは自分の心の持ちようで可能だということですね。室町時代からの長い歴史を持つそれぞれの文化において、お二人が大切にしておられる言葉を教えていただけますか。

河村 世阿弥の言葉に、皆さんご存じの「初心忘るべからず」があります。「自分が初心者だった時のことを忘れるな」という意味に捉えておられる方が多いと思いますが、そうではありません。世阿弥が言うのは「時々の初心を忘れるべからず」。自分がその場に臨むときは、いつも「初めてである」という意識を持つことなんです。時代も環境も違う中で能楽師たちが常に「初めて」という意識で向き合ってきたからこそ、その時々で新しいものが見えて、能は今まで続いているのです。「この道何年のベテランだ」と思い始めたらおしまいです。

 私は40代になってから、「吾唯足知(ワレタダタルコトヲシル)」という言葉がすごく好きになりました。龍安寺の「知足のつくばい」として、非常に有名な言葉です。子どもの頃は「慎ましやかにしなさい」とか「贅沢を言ってはいけない」という意味だと思っていましたが、ある時から「ハード環境にこだわるな」という意味に聞こえ出しました。逆に言うと「ソフトパワーを磨け」という意味に感じるようになってから、とてもポジティブな言葉だなと思うようになりました。ハードにこだわらず、自分のソフトパワーを磨き続けることこそが、人生を懸けてやるべき仕事。ソフトパワーは自分の命と共に消えてしまいますが、だからこそ先輩たちの経験や知恵から学ぶことが重要です。それが世代間の継承であり、それぞれの年齢や立場でソフトパワーを磨き続けることが、「伝統」という言葉で呼ばれるようになるのだと思います。

応仁の乱を境に激変した中世の価値観

植木 お二人が取り上げてくださった言葉は、図らずも繋がりますね。自分が消えることでソフトパワーも無くなってしまうあたりは、中世の無常観を思わせます。この場にいる3人に共通する鍵となる時代は「中世」です。お二人の携わっておられる文化芸能を育んだ、中世という時代の魅力とは何でしょう。それが今の時代に、どういう意義を持ち得るのでしょうか。

 ある時、金閣と銀閣とでは、建てられた時代の社会的メンタリティーがまったく違うことに気づきました。平安京以降の歴史の中でいろんなことがあり、社会が煮詰まって金閣が建てられた。その美意識や価値観が、応仁の乱ですべて灰燼に帰してしまいました。その中で、自分の命がなぜまだここにあるのかというようなことを見つめ出したのが、東山の銀閣でした。月を見て、「戦の間もこの月は昇っていたのだ」と感じるようなメンタリティーです。

植木 確かに大きな変化でした。その前半の舞台が、ここ寒梅館の下にあった花の御所、つまり足利義満が造営した邸宅ですね。河村先生はいかがでしょうか。

河村 中世とは、本当に無常観あふれる時代です。あの世とこの世が、かなり近いのです。幽霊がたくさん出てくる。自分の力ではどうにもならない「自然」が目の前にある。自然と和合する精神性が形を保つことにより、世の中に伝わっていった。それが能の力でした。今こうして文明が発達した時代に、SDGsという考え方が生まれてきました。けれど考えてみれば、日本はずっと「持続」してきたんです。香道や芸能もそうです。前代の文化を否定するのではなく、精神が繋がり、ずっと積もってきた。この考え方は今の時代にとても有意義なことではないでしょうか。続いてきたのは、感動させる精神的な強いものがあるからです。魅力のないものが滅びるのは仕方ありませんが、魅力に気づかずに滅びてしまうのは残念なこと。だから、我々もそういう気づきがあるような方向に持っていき、意義を感じていただけるようになればと思っております。

はた 正高まさたかさん

株式会社 松栄堂代表取締役社長。1954年、京都府生まれ。同志社大学商学部卒業。 香文化普及発展のため国内外での講演・文化活動にも意欲的に取り組む。

ソフトパワーの正しい伝承と
自己の文化を客観視する視点が必要

植木 人間は自分が生きている時代しか、体験としては知り得ません。ただ現在の価値観がすべてになりがちだと、時代の変化に対応できなくなります。それを気づかせるという意味で、歴史には学ぶところがありますね。そういうことを含めてお二人は、コロナ禍で普及活動に注力されました。海外や若い人たちに向けての普及について、印象的なエピソードがあればお聞かせください。

 異文化との出会いは、自分自身の発見です。アメリカとの文化交流だからと、輸出用のお香を持っていくと、現地の方が日本の線香を使っておられたことがありました。「こんなナチュラルな香りはない」と言われ、目からウロコが落ちました。また27歳の時、アメリカのコレクターをお訪ねしたことがありました。江戸時代に作られた、美しい蒔絵の香道具を持っておられたのですが、日本人であっても使い方は誰も分からないらしいのです。私は箱から出されたままの香道具を説明して、全部箱に片付けました。相手は非常に驚き、今度は香を持って、ぜひ来なさいと言われた。次に渡米すると、待っていたのはボストン日本協会のボードメンバーでした。現地の大学で日本語や日本文化を学ぶ学生たちに、ぜひ私の持つノウハウを提供してほしいと言われました。そして年1回の交流が始まり、立ち寄る場所も増えていき、素晴らしいプログラムへと発展しました。自社の若いスタッフも加わり、毎年5人ほどのチームで各地を行脚するようになりました。それは何も私が始めたことではなく、裏千家の大宗匠などの先達が拓いてこられた道であったことに気づきました。ただ、ソフトパワーを伝えることの難しさを思い知らされた経験もあります。香箱はアルファベットでkobakoと表記されていたのが、ある時からkobako(小箱)を意味するsmall boxになってしまったということも発見しました。

植木 知人から聞いた話ですが、ミラノの楽器博物館に、ヴィスコンティ家の収集した琵琶が展示されていたのだけれども、本来、海老尾といって曲がっているはずの琵琶の先端がまっすぐだった。おそらく、折れてしまった海老尾が、修理の際にまっすぐ接がれてしまったのだと思います。今のお話から思い出した逸話ですが、まさにソフトを伝えることの重要性を痛感します。

河村 私が初めて海外に出た時、ワシントンで英語で講演したのですが、表面的な部分しか伝わらないようでした。講演後に現地の方とお話しして、私は日本語の発想で考えた文章を英語にして話していたことを知りました。そこで滞在期間中に英語式の頭の働かせ方を学び、最終回の講演ではかなりの手応えを得ました。それ以来、日本の誇る素晴らしい伝統文化である能楽を紹介するのだという姿勢では、文化交流ではなく「文化一方通行」に思えて仕方がないんです。観る方の視点に立ち、その人たちの水準で考え、こちらがどう見えるのかという視点があってこそ、初めて「交流」と言えるのではないでしょうか。

植木 同志社にも留学を志す学生さんが多くいます。しかし向こうの立場に立った思考ができないと、なかなか真の交流にはなりません。学生さんたちにも、ぜひそこを考えてほしいですね。

河村 言葉の違いも考える必要があります。よく例に挙げるのがmaskという単語です。能面はmaskと翻訳されますが、maskとは「覆う、隠す」もの。我々の能面は「面(おもて)」といって、それを通して「出す」ものなんですね。maskと「おもて」とでは、概念が正反対。そういうことを、直接自分の言葉でお伝えしています。

文化理解も学問も
基盤に幅広い教養が求められる

植木 お二人の活動は、まさに本学の教育理念である国際主義を体現していて、心強く感じます。松栄堂は2018年に薫習館(くんじゅうかん)を造られ、香文化を多角的に学べる展示やイベントを行っておられます。河村先生は小学生に能を教えるワークショップを多く実施されるほか、小学校の先生向けの教材ビデオも作成されています。若い人や子どもたちへ文化を伝えていくことについての思いをお聞かせください。

 日本では家庭や地域社会において、世代間で経験や価値を継承する力が社会的に弱まりを感じています。ですから意識して、若い世代や子どもさんたちに働きかける取り組みをしています。現代はデジタル化社会、情報化社会などと言われるものの、五感のうちの視覚・聴覚に革命が起こっているだけなんですね。あとの3つの感覚機能は、私たちは非常に原始的なまま使っています。このバランシングを大事にしてほしいのです。写真とテキスト情報しか得られないスマホではなく、現物の香りに出会ってほしい。薫習館は身をもって体験してもらう、小さな文化施設です。例えば本当の麝香の香りに、簡単に出会っていただけます。それがSNSで拡散され、若い世代が訪問してくださるのは嬉しいことです。

河村 こういう芸能文化は、以前はたしなみや教養として、普通に家庭にあるものでした。ですから今は学校教育の場でも、伝承に取り組んでいただく必要があります。そこで能楽師だけでなく各分野の専門家が集まり、「伝統音楽普及促進事業実行委員会」を作らせていただきました。昨年はVRを使い、臨場感のある映像の開発も試みました。同志社大学にもご協力いただいています。もちろんこれは、一つの手段です。大事なのは五感を働かせて体験し、自国の文化を身につけること。すると自信が生まれ、自己肯定できるようになる。そして他国の文化に対して違いを認め合えるようになり、互いに認め合い尊敬し合えるようになれば、世界は平和になるでしょう。そのための教材作りです。

 お香とお能の共通点に気づいたことがあります。「羽衣」という演目を何度目かに観た時のこと。舞台上に群青色をした駿河湾と太平洋の温かい日差しがあり、白波が立ち、三保の松原の向こうに富士山が見えた瞬間、感激しました。お香でも、一人で香りに向き合い、慮る力が求められます。伊勢物語や源氏物語、古事記の世界なども含め、そういう教養を共有する人が「慮る力」を発揮するのが、お香やお能の楽しさです。このような気づきに出会う機会を提供していくのが、私たち経験豊かな世代の仕事かと思います。

河村 科学技術が進み社会構造も複雑になると、どんな分野を学ぶにしても、その前提となる広い教養は絶対に必要です。ノーベル賞受賞者の野依良治先生も、日本語を話して日本語でものを考えることも、科学の発想に非常に重要だとおっしゃっています。まずは自分の足元を強固にするアイデンティティを確立できるだけの、教養を持っていただきたい。同志社の教育はそれに最もふさわしいと思います。学生さんたちも、若い時から多方面の勉強をしていただけたらと思います。

同志社大学

植木うえき 朝子ともこ学長

同志社で体得したアカデミックな姿勢が
現在に繋がる

植木 今は文系・理系の枠を超えた総合知を、大学としても目指しています。自国文化の理解はもちろん、それを相手の側に立ってもう一度見てみるという、複眼的な視点を養う教育方法についても教えられました。さて、お二人の学生時代についてもお聞きします。同志社での学びが、今にどう繋がっていると感じておられますか。

 周囲の京都御所や相国寺も含め、歴史ある素晴らしいキャンパスで過ごした、良い時間でした。私は古美術研究会に所属していましたが、前の世代で学生運動が激しかったこともあり、当時は哲学的な議論をする会になっていました。物事を真剣に見つめて談論風発する雰囲気の中で学生時代を送ったことは、良かったと思います。当時は水尾比呂志さんの著書『美の終焉』が好きでした。民芸運動を取り上げた本です。ですからbeautyを「美」という言葉で置き換え、「美術」という言葉で物事を語るようになった現代的な概念の中で、中世の「もののあわれ」のようなものは説明しきれないと、今でも思っています。森羅万象を神とする日本において、自分の身を一歩引く力を、私はすごく大事に思っています。

河村 私は相国寺南門前町で生まれ育ったので、物心ついた時には今出川キャンパスで遊んでいました。同志社中学校に入り、高校では受験勉強をせずにすみました。おかげで謡や舞いのお稽古の他、4つの楽器の稽古にも通えました。国語の選択科目では『奥の細道』の江戸時代の版本を、曾良の随行日記と一緒に読むという授業も受けられました。その先生が文化史学という分野を教えてくださった。史料と向き合って考えるという態度を徹底的に訓練されたおかげで、私は能に関わる本や史料を読めるようになりました。史料に登場する人物は、書き手の立場によって描かれ方が違います。それを私たちはどう読むのか。史実が観阿弥、世阿弥らによって加工され、さらに600年以上の間に演者によって変化していく。そこには人の意識が働く。その変遷を経て、自分はどう表現するのか。私は大学へ行くのが好きでした。大学とは、人生を懸けて研究されたことを先生方が惜しみなく教えてくださる、テーマパークのような場所ですから。

恵まれた環境に気づき
主体的な学生生活を送ってほしい

植木 ご自身の学生時代を踏まえて、今の学生さんたちにメッセージをお願いします。

 4年間京都で、特に同志社で学ぶ時間があるというのは、本当に恵まれた環境です。京都は日本文化史のテーマパーク。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」時間が、京都にはあるわけです。大学にいる間に、ぜひいくつもの京都の財産に気づいてください。

植木 私はずっと関東で育ちましたので、時雨を経験したことがありませんでした。でも京都に引っ越して、実感として理解できました。時雨が紅葉を色づかせるという和歌のパターンがありますが、まさにその季節にぱらぱらと降ってくるんですね。感激しました。

河村 私は授業の最初に「私の言うことを信じないでください」と言います。いろんなことを語れば語るほど、その人の個性を通して伝わることになります。だからこそ、自分の目で判断することが絶対に必要です。そのためには物事を鵜呑みにせず、勉強をして自分で考えていただきたいのです。同志社は本当に自由な大学で、可能性がいっぱいあります。でもそれは、主体的に動いてこその話。京都というまちは学生さんに親切です。動けば動くほど、みんな親切に受け入れてくれますよ。

植木 与えられた環境を存分に活かし、自分の目で見て主体的に動くことは、普遍的で大事なことだと思います。お二人のお話を聞いて、私自身も頑張らないと、と思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

YouTubeにて鼎談の様子を公開中

前編
後編