東寺真言宗大本山 石山寺 第53世座主。1987年、滋賀県生まれ。同志社大学文学部美学芸術学科卒業。石山寺初の女性座主として、講演活動や地域活動、文化財保護などにも意欲的に取り組む。
同志社大学
ロスゼロ代表取締役。1970年、奈良県生まれ。同志社大学経済学部卒業。日本生命の総合職、結婚・出産を経て、2度起業。食品ロス削減などの資源循環社会の実現に取り組むほか、起業家育成や途上国支援にも従事。
植木 本日はお忙しい中、ありがとうございます。文美月さんは本学経済学部を卒業され、就職、留学、結婚、出産を経た後、自宅でネットショップを起業し、ヘアアクセサリー専門の人気サイトに育てられました。その後、使われなくなったヘアアクセサリーを回収して、発展途上国に寄贈する活動を開始されます。その中で「もったいない」ものの価値を知り、2018年には食品ロス削減プラットフォーム「ロスゼロ」を始められました。産官学連携による地域や経済の活性化のほか、女性起業家支援にも貢献されています。鷲尾龍華さんは、石山寺の第52世座主の長女としてお生まれになりました。本学文学部を卒業後、民間企業に勤務しながら僧籍を取得され、退職後は種智院大学仏教学科で学ばれます。2021年12月に石山寺第53世座主に就任され、747年の創建以来初の女性座主となられました。まずはお二人の、現在の主な活動についてお話しいただけますか。
文 食品ロスを減らすビジネス「ロスゼロ」が中心です。余剰在庫や規格外品など、作り手の中で販路を失った物を消費者につなぐプラットフォームを運営し、食品ロスを減らすeコマース販売や福袋感覚で不定期に届けるサブスクリプションサービスを提供しています。リサイクルを越え、新しい価値を付けて新しい食べ物に生まれ変わらせる「アップサイクルフード」の開発にも取り組んでいます。
鷲尾 石山寺の長としての仕事には、大きく分けて二つあります。仏法を世に広めていくことと、お寺の中を守ることです。前者については講演活動や、観光協会、地元の方々と共に地域活動などをしています。お寺の中では、多数所蔵する文化財や建物の保護・修復と、参拝者の方々に快適に過ごしていただくための環境整備などが中心です。
植木 日々の活動における面白さや醍醐味は何でしょうか。
文 資源循環社会の実現が目指される中で、食べ物を最後まで笑顔で美味しく食べきるための仕事をしていることに、大きなやりがいを感じます。2018年に食品ロス削減の活動を始めた頃に比べて、今は社会の意識が随分変わり、SDGsの知識を多くの方が持つようになりました。大企業、学生さん、NPO、大学など、多くの方と協業しながら社会問題の解決に向かえるのが、とても面白いです。
植木 本学の学生さんたちも、SDGsに対する感覚が我々より進んでいると感じることがあります。最近も、電力やペットボトルといった資源をたくさん使う自動販売機を減らし、水をマイボトルに汲めるようにウォーターサーバーを置いてはどうかという提案が学生さんからあり、大学でも検討中です。鷲尾さんはいかがですか。
鷲尾 石山寺には地元の方々やお子さん方も、たくさんお参りにきてくださいます。そういう方々と接したり、皆さんが何か大切な気持ちを持って帰られる様子を見たりするのがとても好きです。地元の小学生がお寺の前を通るとき、帽子を取って一礼してくださる。夏の縁日で、金魚すくいは殺生になるからと、おもちゃの金魚を代わりに使ってくださる。目に見えないものを敬う思いが少しずつ広がっていく様子を、すごくありがたいと思いながら修行させていただいています。
植木 お二人はまったく異なる方面で活躍されていますが、社会貢献や、目に見えないものを大切にする気持ちを広げていくなど、根本では大きく重なる部分があると思いました。今日は私も含めて全員が女性ですが、特に起業や仏教界など、女性の少ない分野で活動されているところが共通点かと思います。私自身も同志社大学初の女性学長という点に注目していただくことがしばしばあります。ありがたいことですが、本来であれば話題にならないことが望ましいですね。お二人は活動の中で、女性であるが故の困難や利点を感じられたことはおありですか。
文 日本で女性経営者は約8%しかいないと言われ(2021年4月帝国データバンク発表)、自ら創業した女性はさらに半減します。起業家の集まりやプレゼンテーションを行う場でも、女性は少ないときは10人に1人くらいです。すると情報やご縁を集めにくくなり、男性に比べると少し情報不足を感じます。女性社長であることに、最初は違和感を示されることもあります。一番大変だったのは子育てとの両立でした。そもそも起業前は子どもがまだ小さく、再就職をしたくても難しい時期でした。そこで逆の発想をしたんです。自分が社長になれば、誰からも解雇されないと。夫や義理の母とたくさん話し合った結果、二人とも心から賛成してくれて今があります。女性経営者ならではの利点は、目立つので覚えてもらいやすいことでしょうか。他にも女性は生活者視点で考えたり、感性を生かしたりすることが得意で、物事を見るためのフィルターを多く持っていると思います。そういう経験の多さからビジネスが生まれることもあります。
植木 鷲尾さんがおられるのは、まさに男性の世界ですね。
鷲尾 そうですね。今は女性のお坊さんが少しずつ増えて活躍されていますが、女性は何となく頼りないと思われることがあります。私も、もう少し若かった時はそのような態度を取られたことがありました。すると、男性は男性のお坊さんの方がいいのかなと、自分でも思ってしまうんですね。伝統的な社会なので、女性は家を守っていくものとお考えの方がとても多いのです。しかし女性のお坊さんがいつまでも少ないと、後に続く女性のためのロールモデルが育ちません。これは大きな問題です。私は未婚ですが、お寺を守りながら家庭を築いていくことを想定して、今から協力体制を築いていく必要を感じています。種智院大学にも、お坊さんになった女子学生が多くいます。でも結婚して家庭を持つと、女性中心のお寺は無理だと思われたり、結婚相手に住職になってもらう道しかなかったりというケースが少なくありません。今は私自身がそういう女性たちを支えていける立場になったので、女性で良かったなと思っています。私が一つのモデルになれるとしたら、こんなに良いことはありません。
植木 お二人の話には非常に共感できる点がたくさんあります。大学教員でも、育児期間中に研究者としてのキャリアが遅れることが常に問題になります。文さんは大変だった時、どうやって乗り越えられたのですか。
文 義理の母がとても好意的に手伝ってくれました。夫に転勤がなく、義理の両親が近くに住み、たまたま子どもも私も健康だったことも恵まれていました。そこにすごく感謝して働かないといけないと思いました。
植木 本当は女性本人だけが頑張るのではなく、周りが支えられるように社会全体が育っていくのが理想だと常々思います。頼りないと周囲から見られ、女性自身までもがそう思い込むアンコンシャス・バイアスが、社会にも女性にも刷り込まれていることが大きな問題です。同志社大学は2021年にダイバーシティ推進宣言を制定しました。国籍、障がい、性別、性的指向・性自認、文化、宗教、思想信条など、多様な背景を持つ人たちが共生できるキャンパスの実現を目指すものです。お二人が多様性という言葉を耳にされたとき、何を一番に思い浮かべられますか。多様性のどういう点に、一番関心をお持ちでしょうか。
文 私は自分自身が多様性の塊だと思っています。働く母で経営者であり、2回起業して、外国にルーツを持っています。日本は圧倒的な男性社会で単一的なところがあるので、常に私はマイノリティの立場でした。それが障壁を作ったり、自分のコンプレックスになったりもしました。でも今思うと、人と視点が違うのはとても面白いことです。他と違うからこそ見えてくることが、本当にたくさんある。自分は何者かを人よりたくさん考えてきたので、ハードルの高さに道を諦めそうになっている他のマイノリティの方に、こういうマイノリティがいるよと思ってもらえたらいいですね。
植木 新聞で文さんのインタビューを拝読しました。在日コリアン3世であることが人と違う視点を生み、それが強みだとおっしゃっていましたね。
文 海外を見る目ができたので、自分がどこに行けば何ができるのかという、大きな視野を持てるようになりました。そして40代で日本国籍を取得しています。
鷲尾 私も女性のお坊さんであり、どちらかというとマイノリティだと感じてきました。他に外国人のお坊さんもいて、悩まれた時期があったと聞いています。どんなに頑張っても、日本で自分はお坊さんではなく、外国人として見られていると。今は多様性を認める社会になりつつありますが、「マイノリティ」を「個性」として捉えることができれば、自分だけが違うと悩む人の気持ちが分かるのではないでしょうか。
植木 本学大学院文学研究科国文学専攻の卒業生で、谷崎潤一郎を研究対象とするアメリカ人のグレゴリー・ケズナジャットさんが、昨年、京都文学賞を受賞されました。受賞作は、彼自身のことがかなり反映された『鴨川ランナー』という小説でした。彼と重なる主人公は日本文学の研究者なので当然、日本語が堪能です。しかし日本では必ず英語で話しかけられるために日本語を話す機会がなく、日本について何も知らない人として扱われてしまうところに、大きな違和感を持ち続けていることが書かれていました。授業中には気づけませんでしたが、ご自身はずっと孤独感や疎外感に苦しんでいたのですね。そのようなマイノリティへの想像力を私たちは持たなくてはいけませんが、マイノリティとしての経験が想像力を育てる助けになるのは、プラスに考えてよいことですね。
鷲尾 そうですね。
植木 お二人が身を置かれる世界でのダイバーシティ推進なども含めて、今後の目標をお聞かせください。
文 私はもったいない資源を他の価値あるものに変える活動をしているわけですが、やはり女性の能力が埋もれているのが、もったいないですね。「ロスゼロ」は、人の能力が生かしきれていない現状を変えることだとも考えられます。だから私は、まだまだ少ない女性の起業家を育てていきたい。ただ、例えば年商100億円の女性社長も素晴らしいのですが、年商10億円の女性社長が10人、年商1億円が100人というように、より多くのロールモデルが現れる方が、若い人たちの希望につながるかもしれません。女性の方が育児や家事に近いところにいる場合が多いので、生活の変化に応じて柔軟にビジネスと関われるのかもしれませんね。起業家や起業を目指す人たちが、そういう多様な生き方を社会に示していくことが、持っているものを生かすことであり、私のミッションみたいなものでもあります。
鷲尾 私も女性の修行者をもっと育てていきたいです。女性修行者に男性指導者がつく場合があるのですが、女性には特有の身体的事情などがありますね。男性指導者がそこへの配慮ができないと、どちらもかわいそうです。そのようなことのない指導体制を整え、性別や国籍に関係なく、望む人が皆お坊さんになっていけたらいいなと強く思います。それから現在、お寺の中での人員配置を大きく見直しています。人の能力はそれぞれなので、一人ひとりの特性を活かしたお仕事をしていただきたいと考えています。またお寺の仕事は、お坊さんでないとできないものと、そうでなくてもできるものとに明確に分けられていますが、境目が曖昧な部分もあります。そこにもっと自由があることを示していきたいし、働いている人にも感じてもらいたい。お寺に来られた方にも、石山寺にはこういう自由があると感じていただきたいです。しかし一方で、伝統というものがあります。例えば女人禁制のお山に女性が入ることについての是非は、私はまだ分かりません。信仰の中で長い間残されてきたことは、一つの価値観として残すべきなのかもしれない。ただ、そこに男装して入山する女性も実際にいます。そうまでして入りたい理由を知りたいですし、そこでたくさん話し合って、皆が折り合いをつけていけば良いと思います。そういうことを怖がらずに話し合う機会を豊富に持ちたいです。
植木 同志社大学での学生生活はいかがでしたか。
文 大学1年の時にバブルが崩壊しました。経済学部で学びながら経済が変わる節目を経験したことは、卒業して金融業界に就職するきっかけになりました。そして今こうしてビジネスをしていて感じるのは、卒業生とのご縁です。ビジネスを通じて母校の卒業生とのご縁が年代に関係なく生まれるのは、本当にありがたいことです。女性の起業家は本学の卒業生ではまだ少ないので、若い卒業生たちのお世話もしたいと思います。
鷲尾 私は美学芸術学科で西洋美術史を専攻しました。美術館やさまざまな建築の見学に行き、授業でも映画や演劇など、多様な美術のあり方を学びました。その経験が感受性を豊かにしてくれたと思います。ゼミの先生が石山寺にこられた時のことですが、たくさんの岩の上にお堂が立つ様子をごらんになって「モン・サン=ミシェルと一緒ですね」とおっしゃったんですね。モン・サン=ミシェルも岩山の上に大天使ミカエルが降り立ったという場所なので、成り立ちが一緒であると。そのとき、大きく世界が開けたのを感じました。日本のお寺から西洋の寺院へと視点を転じることで、多角的な見方ができるようになったのではと思います。
植木 西洋的な考え方では、自然とは人間が支配するものですね。庭園は左右対称に整然と造られて、人工的な感じを与えます。日本庭園には例えば借景があり、お寺の庭も周りの自然と溶け合うように造られています。支配するのではなく、共存する感じです。でも共通性もあり、普遍的なものがあるということですね。鷲尾さんは石山寺でお育ちになりながら、キリスト教主義の本学に入られました。どのような動機があったのでしょうか。
鷲尾 中学から同志社に通っていた父から影響を受けました。自由な校風や私服制度などが魅力的に映り、私も中学から同志社に来ました。当時は聖書を真剣に読み込み、仏教と比較しながら考えるのが常でした。キリスト教では父なる神はとても厳しく、その下に私たちはいる。一方、仏教は非常に寛容で、言ってみれば何でもありみたいなところがある。そのどちらもがこの世界に共存していることの面白さを、同志社での生活から教えていただきました。
植木 学生時代は、他にどんなことに力を入れておられましたか。
文 10歳で始めたバスケットボールを大学でも続けました。仲間と一緒に何かを成し遂げるチームスポーツの世界が、昔から好きでした。最終学年では代表を務め、人をまとめることの難しさを感じながらも楽しんでいました。
鷲尾 私はアカペラサークルに入り、週に5日ぐらい練習していました。強い絆が育まれたし、もしかしたら今、朝のお経を読むための修練になったのかなとも思います(笑)。
植木 最後に、同志社大学で学ぶ学生たちへのメッセージをお願いします。
文 これからの時代、「安定は不安定」です。大企業に入ることだけがすべてではありません。重要なのは長い人生を、自分の足でしっかりと立って歩くこと。自分の目で見て、自分の経験に基づいて行動するために、学生の間は好きなことに集中し、小さな失敗をたくさんしておきましょう。また、資格取得が悪いわけではありませんが、スペックを高めることだけにとらわれると、器がなかなか大きくなりません。粗くても、後々スキルさえ付けば伸びる人はいます。社会に出るまでに小さくまとまる必要はありません。のびのびと、今できること、情熱を捧げられることに集中してから社会に出た方が良いと思います。
植木 最近の若い人たちは、失敗を非常に恐れる傾向にあるように感じますが、大変励まされる言葉です。
鷲尾 大学とは、高校から上がってきて人数が圧倒的に増え、自分の世界が大きく広がる場です。初めて出会うタイプの人も大勢いますが、怖がらずに接してほしいです。学生時代、人間関係の失敗は必ずあります。その経験がないと、少し味気ない大人になってしまうかもしれません。自分のやりたいこと、学生時代だからこそできることを、恐れずにやってほしいです。のめり込む時間は絶対に必要です。意味がないと思うようなところから、自分の良い部分は見つかります。
植木 卒業生が活躍する姿は学生たちの良いモデルとなるでしょう。そのようなお二人から、失敗を恐れず器を大きくしようというお言葉を聞くと、学生たちも励まされると思います。今日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。