澤田瞳子さん(02年文院修了)が歴史小説『星落ちて、なお』で、2021年上半期の第165回直木賞を受賞されました。2018年には門井慶喜さん(94年卒)が、『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞されています。お二人は文学部文化学科文化史学専攻(現・文化史学科)の卒業生。そのお二人に国文学者である植木朝子学長が加わり、歴史小説の魅力や執筆活動の舞台裏を語り合いました。
正式には「直木三十五賞」。同時に発表される芥川賞は芸術性の高い作品に贈られるのに対し、直木賞は大衆性の高い作品に贈られる。同志社大学校友では、他に第44回黒岩重吾氏、第140回山本兼一氏も受賞。
1971年、群馬県生まれ。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻(現 文学部文化史学科)卒。
2018年、『銀河鉄道の父』(講談社)で第158回直木三十五賞を受賞する。
植木 まずは澤田さん、直木賞受賞、誠におめでとうございます。
澤田 ありがとうございます。
植木 お二人の直木賞受賞作品は、共に親子関係に焦点を当てたものです。『銀河鉄道の父』は宮沢賢治の父、政次郎が主人公。『星落ちて、なお』は「画鬼」と呼ばれた天才画家、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の娘、とよが主人公です。天才本人ではなく、それを支えた人、あるいはそれに振り回された人物に注目された理由をお話しいただけますか。
門井 僕は有名人の周辺にいる人を書くこともあるし、徳川家康のような有名人を書くこともあります。どちらも僕自身ではないので、自分の想像力で書かないといけない点では共通しています。そういう意味では、有名人か周辺の人かによる区別はあまりしません。どちらも歴史であるという感じがします。
植木 門井さんの『家康、江戸を建てる』は河川整備や石垣の造成をした人など、歴史の表舞台には現れないけれども、大事業を支えた人たちの群像劇ですね。こういう着眼点は「地の塩たれ」という、同志社の精神と重なるようにも感じます。
澤田 私の場合は、有名人と有名人の間の空白部分を汲むと、歴史をもう少し包括的に捉えられるのではと考えて、名の通った偉人ではない方を書くことが多いです。
植木 お二人の直木賞作品で描かれる親子の関係性は非常に対照的ですね。政次郎は賢治を溺愛しますが、河鍋暁斎の娘、とよは、父や兄に対して愛情と憎悪がないまぜになった複雑な感情を持っています。それぞれ葛藤があり、単純ではない。そういう親子間の感情描写には、どのような思いで取り組まれたのですか。
門井 政次郎の場合、僕の作品には珍しく、僕の実生活の状況に近い主人公なんです。僕自身、3人の息子がいます。子どもの成長とともに、父親として積み重なってきたものを小説という形で出したくなった。それを歴史小説として考えた時に、宮沢政次郎という題材に出合った。そこで図らずも、そういう自分が非常にストレートに出てしまった感じです。
澤田 人間はすべて誰かの子ども。子どもは普遍的な存在なので、誰もが感情移入できます。そこでまず、子どもという存在に向き合いたかった。そして家族だから縁は切れないけれども、遠いかもしれないという存在を、天才の家族をモデルにして書いてみたかった。そこで、とよという存在を描こうと思いました。
植木 澤田さんのお母様は作家の澤田ふじ子さんです。今回の受賞インタビューで、創作者を親に持つ点が、とよと同じだという指摘に対して、執筆上は特に意識しなかったとお話しでした。実生活と作品との関係性について、作家ご自身はどんな感覚でおられるのですか。
澤田 描く対象は過去の人なので、考え方も日々の暮らしもまったく違う。そこに私の実生活を直接投影することは少ないですね。自分自身に起きた喜怒哀楽のエッセンス的なものを扱えると思うことはありますけれど。
1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻(現 文学部文化史学科)卒、同大学院文学研究科博士課程(前期課程)修了。
2021年、『星落ちて、なお』(文藝春秋)で第165回直木三十五賞を受賞する。
植木 『銀河鉄道の父』には蛍の童歌(わらべうた)が出てきます。こっちの水は甘いからこっちに来いという普遍的な童歌が、東北の言葉によって2回、出てくる。最初は赤痢にかかった賢治を看病する場面、2回目は臨終の床にある賢治に寄り添う場面。多くの童歌からこれを選んだ巧みさに感激しました。蛍は古くから人の魂の象徴とも見られてきたからです。生死の境にある賢治に対して「そっちに行くな」という祈りが込められているように読めました。そして1回目はこっちに残った賢治が、2回目はそっちに逝ってしまう。一つの歌を通して非常に対照をなす場面が描かれて、見事だなと。
門井 蛍が生死の象徴とまでは、考えていませんでした。当時の東北地方で歌われていたであろう童歌を本で探し、見つけ出したのがあの歌です。歌の引用で難しいのはメロディーが分からないことです。メロディーを知る人が読めば違和感を抱くかもしれない。ただ、やはり歌謡や詩は、散文よりも人間の心を非常に強く揺さぶります。詩は強い援軍です。
植木 澤田さんの『落花』という作品では、章立てが「行旅/管絃/交友/無常/将軍/白」と、『和漢朗詠集』の部立(ぶだて)を使っておられますね。
澤田 気づいてくださってありがとうございます。『落花』は能楽の「松虫」が基本になっています。「松虫」は男同士の友情の話で、「朝(あした)には落花を踏んで相伴って出づ」という『和漢朗詠集』の詩を引用しています。その友情を平将門と僧・寛朝にあてはめ、でも作品の世界は室町時代ではないので、『和漢朗詠集』の詩に仮託して作品名を『落花』としました。
門井 そういう仕掛けを明確に企んでやるというのは、僕はなかったですね。損したなぁ、これからしてみよう(笑)。
植木 門井さんの作品にはミステリー的要素があるので、伏線を張っていくところは、やはり仕掛けを重ねていると言えますね。
門井 そうですね。僕はQ & Aと言っていますが、ミステリーの場合は、例えばここに死体がある。殺したのは誰だというQが出て、それに対するAを探す。宮沢政次郎なら、なぜ息子ってこんなにかわいいんだというQに対するAを、一冊かけて探し出すという構造です。そういう意味で僕の作品は、歴史を描いても、広い意味で謎解き小説だと思います。
植木 お二人とも緻密に史実を調べていくという、研究者の側面も強くおありです。そして豊かな独自世界を構築しておられる。史実と虚構について、お考えや向き合い方をお聞かせください。
門井 僕は「攻めのフィクション」を基本的な態度としています。事前に可能な限りの調べをして、これしかないというところまで詰める。それをフィクションにすることによって事件なり人物なりが、より強く読者に伝わる。これが攻めのフィクション。ところが準備をしても、心理など、どうしても史実では埋まらない部分がある。そこはフィクションの手法に頼らざるを得ない。それは動機が消極的なので「守りのフィクション」です。同じ虚構でも、なるべく攻めのフィクションでいきたいと思っています。
澤田 大前提として、歴史小説は基本的に虚構なんですね。けれど、歴史的事象はちゃんと押さえねばならない。私は歴史小説を書くことを、家を造ることにたとえています。史実という柱は動かせないけれども、柱と柱の間にどんな壁を塗るのかなど、材料の調理は作家の自由。意外な材料を持ってきて、「こんな家が建つの?」という面白さを提示するのが歴史小説かなと思います。
植木 お二人はそれぞれお互いの作品をどのように思われますか。
門井 僕は近代を書くことが多く、澤田さんは古代や中世のイメージが強かった。ところが今回の受賞作では、初めて近代を扱われましたね。
澤田 これ以前にもう1作、明治5年の東京が舞台の『名残の花』があります。でも大正まで書いたのは今回が初です。
門井 澤田さんという強力なライバルが近代に来たのは、マーケティングという点では非常に困るなと(笑)。
澤田 どうぞ古代に来てください(笑)。私はこの世界に入った時、同じ大学、しかも同じ文化史出身の先輩の作家がおられたのは非常に心強く、ありがたいと思いました。歴史小説は同じ材料を扱っても、作家によって書き方が全然違います。門井さんとは、相互に緩やかに影響し合う関係だと思います。なので、門井さんがご自身の読者を連れて古代小説に来てくださると、こちらの世界も新しい風が吹いて盛り上がります。
門井 澤田さんは同じ大学を出た作家同士で、同じ方向を見ている良きライバルです。そういう人が同時代にいるのは本当にありがたいことです。
植木 小説に取り上げる、それぞれの時代の魅力はどこにありますか。
澤田 古代は知らないことが多いところが、非常に楽しいです。史料のない部分を想像で埋めていき、ひょっとしてこうだったのかなと書きながら掘り起こしていける楽しさが、古代史小説かなと思います。今回書いた明治・大正時代は、現代と歴史との汽水域みたいな感じです。過去だけど過去じゃない、手を伸ばせば届くような、けれども過去でもあり現代のようでもありという、なまめかしさみたいなものが近代の魅力だと思います。
同志社大学
植木 澤田さんの『若冲』『星落ちて、なお』は絵画の世界、門井さんの『家康、江戸を建てる』だと土木・建築などの理系分野、『銀河鉄道の父』では石の話題も出てきます。近年、大学では教養教育の見直しを進めています。学生は自分の専門分野に近い科目を選択する傾向があるので、もっと幅広い教養を身につけてもらうための見直しです。お二人はどのようにして教養や関心の幅を広げてこられたのですか。
門井 数学・物理の点数が良かったわけではないんですが、家康の話なら、なぜ家康は江戸を造ったのか、なぜ川を曲げてしまったのかと考えるのは好きなわけです。その好きなことを深く知ろうと思ったら、絶対に他の分野にも行かざるを得ないはずなんですね。僕はその「行かざるを得ない」の連続で関心を広げてきました。好きなものを追究しようと思えば、自ずから関心は広がると思います。
澤田 日々の暮らしの中で「あれっ」と思う瞬間があれば、それは新しいことに触れていく窓口です。その興味を持ち続けておくと、そこから次の、思いがけない世界が広がってくる。いま私は平安時代の、富士山噴火の小説を書いています。中学時代、長野まゆみさんという作家が大好きで、その方が地学系の作品を多く書いておられました。長野さんの作品を読むうちに地学がどんどん好きになった。でも内部進学する時に地学がなかったので、小説の道に来たわけです。
門井 人間の知性にとって「純粋に新しい」ということはありません。もともと関心を持っているから目が行くのであり、そこには必ず何かの繋がりや引っかかりがあるはずです。
澤田 カレーライスをすごく好きな人が、食べるだけじゃなくてどうやって作るのかなと思ったとき、カレーライス作りにはまり、そこからスパイスにはまっていくというように、興味は無限大に広がっていくと思います。
門井 舌で感じる辛味に興味を持てば、生化学へ進んだりとかね。
澤田 どの方向が正しいとかいうことではないんですよね。
植木 興味の分野のお話が出ましたが、理系重視の傾向を感じる現代、歴史離れが指摘されています。一方でコロナ禍において、歴史に学ぶべきという流れも、やや出てきました。澤田さんの『火定』は奈良時代の天然痘の流行についてのお話ですが、あまりにも今の状況と同じなので、カミュの『ペスト』などと共に、感染症文学として改めて注目されています。しかしまた、偏った歴史認識の広まりも危惧されている。このような現状を、お二人はどうご覧になりますか。
澤田 人間の歴史は螺旋階段のようにグルグルと回り、同じ所に戻ってくる瞬間があるのかなと、最近思うようになりました。時代が変わって論理的な考え方をするようになっても、対処するのは同じ人類です。そして我々自身も歴史の一部で、いま螺旋階段の途中にいて下を眺めている。でも、特にこの2、30年で非常に世の中が情報化され、かえって昔のことを想像しづらくなったのかなと思うと、人間に大事なのはやはり想像力だと思うのです。例えば社会的弱者や新型コロナウイルス感染症患者の方に対する眼差しを考えたとき、自分と関係ないと思うのは簡単です。そこでほんの少しの想像力を働かせて自分に置き換えて考えれば、次に取るべき行動も分かるのではないでしょうか。
門井 文学部の勉強は役に立たないと言う人がいますが、それはお眼鏡違いです。文系もしくは文学部の勉強は、役に立たないのではなく、役に立つのに時間がかかるのです。だから我々は、すぐに答えを求めるのは危険な行為だと思わなければいけない。理系の勉強も同じです。
植木 基礎研究がそうですよね。
門井 はい。新型コロナウイルスにしても、ウイルスやワクチンの基礎研究がずっと行われてきたからこそ、短期間でワクチン開発が可能になりました。理系文系に関係なく、すべての学びは役立つのに時間がかかる。歴史認識もそうです。我々は耐える強さを持ちたいものです。
植木 非常に励まされるお言葉です。いろいろな立場の人への想像力、今すぐに役立つことだけを求めないという姿勢は、お二人の作品から強く感じられるところです。次は、日常の創作活動について伺います。小説の調査と執筆は、どういうふうに進めていかれるのですか。
澤田 これを書きたいと漠然と思ったとき、すべての関係資料や論文を集めて徹底的に読みます。するとその中から必ず、面白い事件や人物という「鍵」が引っかかる。その鍵から掘り進め、取捨選択を繰り返しながらどんどん広げていきます。
門井 この人を書くと決めてたくさんの資料を集めるところまでは同じですが、ある程度読んで、「行ける」と思ったら書き始めます。書きながら調べ、調べつつ書くタイプです。僕の場合、最初にあまり頭に情報を入れてから書くと、説明くさくなって小説の冒頭が重くなる。
澤田 私も途中で薄い部分や屋根が傾きそうな部分に気づくと、また心張り棒を立てる感じです。
植木 論文を書くのも似ていますね。あまり多くを読みすぎると新しい発想ができないので、私は資料をほどほどに読んだら書き始めます。たまに予期しない方向へ行くこともあります。
門井 特に登場人物の人間関係などは、終わってみて最初の目論見通りになったことは、たぶんないですね。ラストでこんな関係になるだろうなという見込みはあっても、見込み通りに行くと人工的に見えてしまう。自然に任せる方がいい。
植木 お二人の執筆活動の基礎になる歴史研究の方法は、やはり同志社大学での学びが不可欠だったのだろうと拝察します。改めて文化史学専攻での学びが今にどう生きているのか、あるいは学生時代のエピソードなどを教えてください。
門井 文化史での学びは、小説を書く作業とは正反対のものです。想像力を働かせる前にたくさん資料を見て辞書を引き、一言一句を疎かにするなという教育を受けてきました。でも、そういうゼミや授業の時間が終われば、ただの本好きの集まりでした。すごくいい環境だったなと、感謝と共に思います。
澤田 私は大学の能楽部で金剛流の能に取り組んでいました。そこで謡のリズムや言葉の美しさを肌で感じられたことが、小説を書く上で一番の基礎になっています。文化財や遺跡がすぐ手の届く所にあるという距離感も嬉しかったですね。
植木 最後にお二人から、同志社で学ぶ学生たちへのメッセージをお願いします。
門井 京都にはすごい密度で文化財や博物館、美術館があります。京都にいる間にそれらをたくさん見ておくと、将来何をするにしても思い出や勉強になります。コロナ禍で出かけにくいなら、身の回りの物に注目してみるといい。人間は人について考えるのは比較的容易ですが、モノについての興味はあまり持続しません。たぶん意図しないと身につかない習慣です。モノとは文化財でもいいし、カレーライスでもいい。テーマを一つ持って見続けると、新しい知の世界への取っかかりになります。
澤田 世の中では何でも仕事にできるということが、私は大人になって分かりました。それぞれの「好き」を掘り下げていけば、そこで生きていく道も見つかる。ご自身の「好き」を否定せず、大事に持っておいてほしいなと思います。
植木 最後は学生への励ましの言葉として受け止めました。本日は本当にありがとうございました。
1971年、群馬県生まれ。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻(現 文学部文化史学科)卒。
2018年、『銀河鉄道の父』(講談社)で第158回直木三十五賞を受賞する。
1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻(現 文学部文化史学科)卒、同大学院文学研究科博士課程(前期課程)修了。
2021年、『星落ちて、なお』(文藝春秋)で第165回直木三十五賞を受賞する。
同志社大学